不動智神妙録8

 

 

本日も

沢庵和尚(たくあんおしょう)が

柳生宗矩(やぎゅうむねのり)

のために

 

「仏法」を通して剣を説き、

さらに剣に生きる

姿勢を説くなかで、

人が人として生きるには、

どうすべきかを説いた

「不動智神妙録」から学びます。

 

 

本日のテーマは

「間髪を容れない心の状態」です。

 

 

 

私達が修行しております

居合道の生命とは、

 

相手を圧する心意気を以て

鞘離れの瞬時に相手を制すること、

これ即ち居合の生命にして

「鞘の内」と言います。

 

 

まさに本日のテーマは

この時の「心の状態」について

沢庵和尚が語ったものです。

 

 

さて、

 

間髪をいれずということがあります。
これを兵法にたとえて述べますと

これは、物を二つ重ね合わせた間に、

髪一筋も入る隙がないということです。
たとえば、

手をポンと叩くその瞬間に

パンと音が出ますが、

打つ手と出る声の間には、

髪の毛一本入る暇もありません。

 

 

 

手を叩いて、

さて声を出すかと考え、

一瞬の間をおいて

声が出るというのではないのです。

 

打った時には

自然に声が出るというぐあいです。

 

人が打ちこんできた

太刀が止まれば、

そこに隙ができます。

 

その隙にこちらからの働きが、

止まるのです。

 

向こうが打ってきた太刀と、

それに応える

我が方の働きとの間に、

髪の毛一本も入らぬようなら、
人の打つ太刀は自分の太刀となる。

 

 

禅の問答でも、

このように間髪を容れない

心の状態を大切にします。

仏法では、

心が何かにひっかかって、

物に心の残ることを嫌います。

 

それで、心の止まることを

「煩悩」というのです。

 

激しい流れの川に

玉を流すようにどっと流れて

少しも止まることのない

心の状態を尊ぶのです。

沢庵宗彭(たくあんしゅうほう)

 

多忙な現代人が、

安心立命して雄々しく生きる

叡智がここに詰まった本。

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資料:

沢庵不動智神妙録

池田論訳

タチバナ教養文庫

 

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