不動智神妙録4(無心無念)

 

本日も沢庵和尚(たくあんおしょう)が

柳生宗矩(やぎゅうむねのり)に書いた

不動知神妙録から学びます。

 

本日のテーマは「無心無念になりきるまで」。

 

 

初心から修行を始めて、不動智を自分のものにすると

もう一回初心に戻るということがあります。

 

これを兵法に例えます。

 

はじめて刀を持つ人は、

どうやって刀を構えていいかすらわからないので

何事も心にかかりません。

 

それが、いろんな事を考えるに従って

あれやこれやと気にかかり、

かえって身のこなしも不自由になるものです。

 

しかし、長い年月、稽古を積むと

どういうふうに身を構えようかとか、

刀はどうなどとは少しも思わなくなって、

 

ついには、

自然に、何も知らなかった

初心の時のように、無心の状態で

いられるようになるのです。

 

 

最初と最後は似ているというか

音の高さを表す調子でも、

一番低い壱越(いちこつ)から、

だんだん上げていって、

同じ調子の高い所が上無(かみむ)となり、

その上は、上の調子の壱越(いちこつ)。

 

つまり下の調子の最高は

上の調子の最低と隣り合わせになるのです。

 

仏法にしても、深いところまで行きつけば

人目を驚かすような仰々しいものは、

なくなってしまうのです。

 

初心の頃の無明(むみょう)と煩悩(ぼんのう)、

それに修行した果ての不動智とが一つとなって

無心無念になりきることができるのです。

 

最高の地点に到達すれば

何をするにも手足がひとりでに動いて

そのことに少しも心をわずらわせないように

なるということです。

 

 

参考:不動智神妙録 沢庵宗彭

沢庵 沢庵 不動智神妙録 池田論訳

 

 

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