菊池家憲

 

 

1868年(明治元年)、

 

江戸幕府が倒れ

新しい「明治」という時代が

誕生する時、

 

500年の時を経て、

ある一族の起請文が

再び光を浴びることになりました。

 

それが「菊池家憲」です。

 

明治天皇が制定した

「五箇条のご誓文」の中の一条

 

「広く会議を興し、万機公論に決すべし」

という項目は、「菊池家憲」の精神が、

 

維新十傑の一人、

熊本の横井小楠から、

坂本龍馬や

五箇条のご誓文の起草に当たった

由利公正に伝わり、

参考にされたと言われます。

 

 

この「菊池家憲」は

今から670年ほど前、

菊池家第13代 菊池武重が

 

一家団結の必要性を痛感し、

一族を集め、

日本最初の「血判書」という形で

誓いを立てました。

 

「寄合衆内談の事」

(よりあいしゅうないだんのこと)と言い、

のちに「菊池家憲」と呼ばれました。

 

寄合衆とは内談衆ともいい、

管領を議長とする合議制をつくる人々です。

 

国務の政道は独裁でなく、

官僚以下の内談衆の合議で

物事を決定するということが明言されており、

 

これは今日でいう

議会制民主主義の精神です。

 

 

 

三条からなるこの掟は、当主である武重と、

庶子一族の任務と権限を定め、

 

一族代表者の議会とも言える

「内談衆」の会議のあり方を示しています。

 

第一条は、天下を左右するような

大事については、

内談衆の議決があったとしても、

 

最後の決断は惣領と呼ばれる

家を継ぐものとしての武重が行う

と動乱の世における当主の権限を

一族にはっきりと示しています。

 

一方で

第二条では、国の内政については

たとえ当主が優れた意見を出したとしても

内談衆の意見が一致しなければ

その案は採用しなくてもよい、

という内談衆の権限を認める内容です。

 

資料:まんが風雲菊池一族

(企画・構成 菊池白龍会)より

 

そして第三条では、一族内部での

係争ごとを禁じ、鳳来山聖護寺の教えの下、

家門の繁栄が仏教の正当な教えとともに

永久に続くことを願っています。

 

今の時代なら

あたりまえのことですが

 

応仁の乱や、

信長、秀吉が生きた時代よりも遥か昔に

 

「議会制民主主義の精神」を

作っていた菊池一族の

文化レベルの高さを実感しながら

 

本日は

その「菊池家憲」から

菊池一族の武士道精神を

学びたいと思います。

 

 

「菊池家憲」

 

寄合衆内談の事

 

一、天下の御大事は、

内談の議定ありと言うとも

落去の段は武重が所存に

落とし付くべし。

 

一、国務の政道は内談の儀を尚すべし。

武重すぐれたる議を出すと言うとも、

管領以下の内談衆一統せずば、

武重が議を捨てらるべし。

 

一、内談衆一統して

菊池の郡に於いて訴え事を禁制し、

山を尚して五常の義を磨し、

家門正法と共に竜華の暁に及ばん事を

念願すべし。

 

謹んで八幡大菩薩の明照を仰ぎ奉る。

藤原武重

延元三年七月二十五日

 

 

 

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