真田幸村
戦国武将を学ぶ
真田幸村
Yukimura Sanada
武士の気概を見せた日本一の強者
戦国の英雄
真田幸村とは

戦国時代の武将・真田信繁(源次郎信繁)の通称。
父の真田昌幸は、武田家に仕えるが武田家が滅びると独立。上田城に本拠を構える。関ヶ原の戦いの際は、兄の真田信之は東軍に付き、真田昌幸・幸村は西軍側に付き、中山道を通った徳川秀忠の軍を足止めした。高野山に謹慎を命じられるが抜けだし、大阪冬の陣・大阪夏の陣に参加。真田丸の砲撃や家康本陣突入などを行う。幸村の最期は松平忠直隊の鉄砲頭・西尾宗次の銃弾を浴び死去。
なお兄の真田信之の家系は、上田から松代十万石(現・長野市松代町)と沼田三万石(現・群馬県沼田市)に分割・移封され、沼田藩は改易されたものの、松代藩の家系は現在まで続いている。

真田幸村
真田幸村像
真田幸村・年表まとめ
永禄10年(1567年)   誕生。父昌幸、母山之手殿。幼名前武藤弁丸。
     
天正2年(1574年)   祖父の幸隆死去。
     
天正3年(1575年)   長篠の戦い。
昌幸、真田家を継ぐ。真田弁丸。
     
天正10年(1582年)   本能寺の変。
真田家の主家、武田氏滅ぶ。
     
天正13年(1585年)   第一次上田城の戦い
幸村、上杉景勝の人質となる。
     
天正14年(1586年)   幸村、豊臣秀吉の人質となる。
     
文禄3年(1594年)   幸村、従五位下左衛門佐に任ぜられる。豊臣の姓を承る。豊臣信繁。この頃大谷刑部の娘と結婚。
     
慶長3年(1598年)   伏見城にて豊臣家に仕える。
     
慶長5年(1600年)   関ヶ原の戦い
兄の信幸は徳川方へ、幸村は父の昌幸と共に石田方へつく
第二次上田城の戦い
昌幸・幸村、上田城で徳川秀忠軍を破る。12月頃、幸村、昌幸と共に、高野山九度山村へ蟄居。
     
慶長17年(1612年)   幸村、好白と号す。次男大八生まれる。
     
慶長19年(1614年)   大坂冬の陣
幸村、豊臣家の誘いにより紀州九度山の蟄居先を脱出し、10月大坂城へ入城。
12月4日、幸村、大坂城の出城(真田丸)で徳川軍を破る。
     
慶長20年(1615年)   大坂夏の陣
豊臣家と徳川家と再戦。幸村、誉田の戦いで徳川方と戦い、撤退。
天王寺表の戦い
家康本陣を蹴散らすも奮闘虚しく戦死。
     
真田幸村と文化遺産・歴史ガイド
熊本城公式ホームページ
  
真田幸村・youtube 動画一覧
真田幸村・ヒューマンエピソード
先を読む事ができた
大坂冬の陣が和睦というかたちで終わった後の話。旧知の原貞胤(松平忠直御使番)が幸村・大助父子を訪ねてきた。大助が曲舞を見せてもてなした後、幸村が秘蔵の白河原毛の駿馬を引き出し5,6度乗り回してから「もし重ねて合戦あらば、御城は破却せられしならば、必ず平場の合戦なるべし。天王寺表へ乗り出し、東方の大軍に渡り合ひ、此の馬のつゞかん程は戦ひて、討死すべし」と貞胤に語ったらしい(『武林雑話』)。実際にそうなったのだが、幸村は和睦しても再戦が近々あるのを予期していたのであろう。


鑑定眼があった
大坂城へ入城前、大峰山中に住む伝心月叟と名乗る山伏が大野修理治長を訪ねてきた。番所で待っていると詰めの武士たちが互いの刀と脇差の鑑定を行っていた。ふと誰かが山伏の刀と脇差に目が行き、からかうような感じで「鑑てやるから」と言ってくるので山伏は渡した。すると、それが刀は「正宗」脇差は「貞宗」だと判明した。大名クラスの者しか持ち得ない刀なのでまわりの武士たちは動揺もしたし、どうせ偽物だと思ったらしい。しかしそのときに治長があらわれてこの山伏が眞田左衛門佐幸村であることがわかった。「少しは目が肥えたかな」と幸村は言ったという。


家臣の事をしっかり考えていた
『大笹村の入口に雁ヶ沢という谷があり両岸は断崖で橋を渡してある。橋の下を見下ろすと、目がくらみ 足がすくむ程。信之・幸村はその橋の上にたたずみ、「この橋から飛び下りる者があるか」とたわむれに部下に尋ねた。赤沢嘉兵衛という者が進み出て「私が飛び下ります」という。「雁が下りてさえ、上がることができぬというので、雁ヶ沢というのだぞ。人間にできるものか」と信之がからかうと、赤沢は「お先に御免」と叫んで谷底へ身をおどらせた。信之兄弟はおどろいた。昌幸がこの騒ぎをきいて駆けつけ「せっかくの赤沢を無駄死なせるとは何事だ。」と兄弟を叱りつけた。やがてその場を出発しようとすると、嘉兵衛がどこからか、けろけろした顔であらわれた。「これくらいな所を飛び下りたとて死ぬような私ではない」と笑っている。昌幸は「稀に死なぬこともある。しかし、このような無茶な者はオレの用には立たぬ。無益に命を捨てようとしたのは不所存の至りだ」ときびしく叱りつけた。 


真田幸村の家紋
真田幸村の家紋
六文銭/結び雁金/州浜


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