織田信長
戦国武将を学ぶ
織田信長
Nobunaga Oda
戦国武将人気No.1。神仏を恐れず、新時代の扉を開けた風雲児。
日本の歴史を変えた戦国の名将。
織田信長とは

戦国時代から安土桃山時代の武将、織田信秀の正妻の子として尾張で生まれる。幼名は吉法師・三郎、官名は上総介。幼少期から相当の変わり者でうつけものと呼ばれていた。今川義元と美濃の斎藤氏を滅ぼしたのち、足利義昭を備えて上洛、浅井・朝倉氏およびこれと結ぶ比叡山を撃破、のちに義昭を追放して室町幕府を滅ぼした。さらに武田勝頼を破り、石山本願寺と和議を結び、毛利氏征討を進めたが、明智光秀に本能寺の変で攻められ、全国統一の業半ばで倒れる。安土城を築き、また関所の撤廃・楽市楽座・検地等の革新政策を行なった。天正10年(1582)享年、49才。

織田信長
紙本著色織田信長像(狩野元秀画、長興寺蔵)
織田信長・年表まとめ
天文3年(1534年)   織田信秀と土田御前の二男として誕生、吉法師(きっぽうし)と名付けられる。少年時代は大うつけで評判だった。
     
天文7年(1538年)   信秀が吉法師(織田信長)を那古野城主とする。 美濃守護代齋藤利良死去。
     
天文15年(1546年)   古渡城に元服して織田三郎信長と名乘る。
     
天文18年(1549年)   齋藤道三の娘濃姫、尾張の織田信長の元へ輿入れ。
     
永禄2年(1559年)   岩倉城の戦で織田信賢を攻め追放し、尾張国を統一。
     
永禄3年(1560年)   桶狭間の戦で今川義元を討ちとる。
     
永禄5年(1562年)   織田信長と清洲城で松平元康と會見、同盟を結ぶ。 岩倉城主織田信賢を攻めて追放する。同盟を結ぶ。
     
永禄6年(1563年)   美濃国攻略のために、清洲城から小牧山城に居城を移す。
     
永禄9年(1566年)   美濃国攻略の拠点として、墨俣城を木下藤吉郎(豊臣秀吉)に築城させる。
     
元亀元年(1570年)   姉川の戦い。
織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が雌雄を決せんと姉川を挟んで戦った。
     
元亀3年(1572年)   美濃国三方ヶ原の戦で、武田信玄が徳川家康軍を破り、尾張国の危機が近づく。攻略のために、清洲城から小牧山城に居城を移す。
     
天正3年(1575年)   長篠の戦で甲斐国武田勝頼に大勝。
     
天正8年(1580年)   朝廷の斡旋を受けて、本願寺の顕如と和睦し、畿内の一向一揆を平定。
     
天正9年(1581年)   本能寺殿内に火を放ち自害する。49歳。
     
織田信長と文化遺産・歴史ガイド
織田信長wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/織田信長

名古屋市博物館
http://www.museum.city.nagoya.jp/tenji0616.html

名古屋観光
http://nk.xtone.jp/

滋賀県立安土城考古博物館
http://www.azuchi-museum.or.jp/

滋賀県観光情報
http://www.biwako-visitors.jp/

熊本城公式ホームページ
  
織田信長・youtube 動画一覧
織田信長・ヒューマンエピソード
実はとても心優しい
信長という人は比叡山の焼き討ち、一向一揆の徹底とした虐殺などで残虐なイメージがあるが、実は優しい一面がある。それは羽柴秀吉の妻おねが秀吉の浮気性に腹を立て信長に相談した時、おねを気遣う手紙を送った。
他にも、信長が上洛した時足軽の一人が側にいた女性をからかった。その工事現場に視察に来ていた信長は、その足軽に近づき自らの刀で足軽の首をはねた。これは、京に上洛した木曽義仲の軍勢が人々に狼藉を働いたため、京の人々は信長が上洛したとき、木曽の再来かと恐れたが、民衆に安心感を与えるため信長は自ら行動を持って示したのである。


信長が呼ぶと、百人の家臣が返事をする?
信長は人物は家臣からも大変恐れられていたらしい。宣教師フロイスが信長と会見したときの様子を記した手紙によると、信長がちょっと手で合図をしただけで、家臣達は獅子の前から逃げるようにしていなくなり、誰かを呼ぶと部屋の外で百名もの家臣が返事をしたという。


理解力抜群
 1580年(天正10年)、宣教師オルガンチーノから「地球は丸い」と教えられたとき、「理にかなう」と言ってすぐに納得した。地球が丸いことを理解できた最初の日本人である。信長にはこういったズバ抜けた理解力があったのだろう。


年少期の奇行ぶり
織田信長は周知の通り天下統一まで目前まで迫った人物だが、年少期はかなりのヤンチャぶりを発揮していたようだ。そのヤンチャぶりから「うつけ殿」(ばかもの)と呼ばれていた。まず、信長は普段、髪は茶筅髷、金銀をちりばめた派手な色の鞘の太刀を携え、腕には麻縄を巻き、腰のまわりには、火打ち袋や、ひょうたんをつけ、虎と豹の皮を染め合わせた袴という格好で町を練り歩いた。
他にも父、信秀の葬儀では、喪主であるにも関わらず帰国をしてきたうえに普段着で入り込んできた。そして父の位牌に抹香を投げつけて、そのまま出て行ったというのだから、参列者はさぞかし驚いただろう。


織田信長の家紋
織田信長の家紋
木瓜/揚羽蝶


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旅ガイド(戦国武将・織田信長を巡る旅をしたい方へ)
百聞は一見にしかず!戦国武将を巡る旅しよう!
滋賀エリア
安土町観光協会
http://www.azuchi-shiga.com/

大津プリンスホテル
http://www.princehotels.co.jp/otsu/

ホテルニューオウミ
http://www.newomi.co.jp/omi/index.php

ラフォーレホテルズ&リゾーツ
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今津サンブリッジホテル
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