黒田官兵衛
黒田 官兵衛を200%楽しむ方法。
黒田官兵衛ゆかりの地「福岡」を旅して。
もっと「軍師官兵衛」を楽しもう。
秀吉天下統一の最大の功労者。中国兵法書に通じた参謀型軍師であり、和歌を愛した文化人。さらに敬虔なキリシタン大名であり、側室を持たず、ただ一人の妻を愛した誠実な男。信長・秀吉・家康という天下人の下で活躍し、自分も天下を狙ったと言われる。家臣から名君と慕われた戦国最強の武将。
九州征伐を実現した秀吉は官兵衛に福岡を調べさせた。そのため官兵衛と長政は、福岡のどこが地盤が弱く、防備に最適かを知っていた。そして彼らは福岡の町ごと城にしようと考える。

福岡市中央区大名2-6-60
西鉄「天神駅」から徒歩5分
福岡の地理を知り尽くしていた官兵衛だからこそ考えた時限爆弾とも言えるトリック。もしも敵から福岡城が攻められた場合、この場所の仕掛けが重要になることを計算して作った。

福岡県福岡市南区老司2丁目付近
老司の堰
黒田官兵衛(如水)をはじめ、最愛の正室・光(てる)、長政など黒田家の一族を祀る崇福寺(そうふくじ)。臨済宗の大徳寺派に属する寺院。ここに来たら見てほしい寺のみどころを紹介。

福岡市博多区千代4-7-79
地下鉄「千代県庁口駅」から徒歩5分
黒田官兵衛(如水)の息子である福岡藩初代藩主・長政が、慶長6年(1601)から7年がかりで築城した福岡城の跡。平山城で、大中小の各天守台と47の櫓があった福岡の名所。

福岡市中央区城内
地下鉄「赤坂駅」から徒歩8分
福岡藩の藩祖・黒田官兵衛と初代藩主・黒田長政の親子を祀る神社。その名前は二人の法名から一字ずつ取って付けられた。元々は福岡城内本丸天守台の下に作られたが明治に移転。

福岡市中央区西公園13-1
西鉄バス「西公園」から徒歩5分
黒田長政は初めここを居城としたが、城下町の発展に不便な土地であることから、慶長12年(1607)の福岡城完成、移転に伴い廃城となった。しかし、名島城は歴史的に重要な城だった。

福岡市東区名島1-26
西鉄バス29番名島から徒歩15分
福岡に来た官兵衛は福岡城を築造する間(慶長6年)1601年、太宰府に移り、天満宮のそばで隠棲生活を始める。戦乱に明け暮れた官兵衛が太宰府を魅力的に思った理由とは?

福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
西鉄太宰府駅から徒歩5分
商人と言えど、只者じゃない。博多と言えばこの人「神屋宗湛」。商人であり、僧であり、茶人だった神屋宗湛の屋敷跡を旅しながら、当時の豪商と戦国武将達との謎に迫る。

福岡市博多区奈良屋町1-17
西鉄バス「蔵本町」から徒歩3分
福岡市博物館所蔵の動画から
黒田の武士道美術を学ぶ。
福岡市博物館では「黒田二十四騎図」を20点以上を収集。二十四騎図が誰によって描かれ始めたのか、時代による描かれ方の違いなどを解説。
黒田長政所用「銀箔押一の谷形兜黒糸威五枚胴具足小具足付」(重要文化財)で。この兜(かぶと)の素材や、形に込められた意味などを解説。
大身槍 名物「日本号」。黒田家の重臣で、黒田家家臣精鋭部隊である「黒田二十四騎」の一人、母里太兵衛が、この槍を手にした経緯などを解説。
福岡市ホームページ:みんなで盛り上げよう 福岡!2014年大河ドラマ「軍師官兵衛」より
黒田官兵衛リンク集。官兵衛ゆかりの地、
NHK大河ドラマを一緒に盛り上げよう!
武士道